前のページまでで「爻(こう)」や「内卦」「外卦」については、だいたい解りましたね。
このページでは「応爻(おうこう)」と「比爻(ひこう)」というものについて学びます。
易経の解説を読んでいると「陰陽で応じている」とか「陰陽で比している」などといった言い方がよく出てきますので、これらが解らないと易経を理解することができません。
この三種類の関係のことを「応爻」と言い、どんな場合においても、これは変化しません。
山水蒙(さんすいもう)の卦(か)を例にして図にすると、下のようになります。
二つの爻をまたいだ関係が応爻であることが解りますね。
比爻とは、隣り合う爻のことを指します。
初爻にとっての比爻は、下記のように二爻だけです。
二爻にとっての比爻は、下記のように初爻と三爻です。
同様に、三爻にとっての比爻は、二爻と四爻、
四爻にとっての比爻は三爻と五爻、
五爻にとっての比爻は、四爻と上爻となります。
上爻にとっての比爻は、下記のように五爻だけです。
応爻と比爻の位置については、上記のとおりです。
では次に、応爻と比爻を意識しながら、何を見ればよいのかというお話です。
陰と陽については、少し前のページでも触れましたが、皆さんもご存知のように陰と陽は引き合いますが、「陰と陰」「陽と陽」など同じものでは引き合いません。
これは磁石をイメージしてみれば解りやすいです。
もう少し付け加えるなら「陰と陰」の場合は互いに弱く、引き合う力がありません。
「陽と陽」では、互いに強いため、反発し合います。
そうしたイメージでもって、易経を読まれると良いと思います。
そして、先ほどの「応爻」に、これを当てはめて考えます。
易経において、応爻に当たる関係は、協力し合う関係であるべきなのです。
応爻とは「正しい相手」とされ、とても大事な相手なのです。
その関係が「陰と陽」であるなら、協力できます。
例えばそれが、上司と部下なら相性の良い上下関係を結べます。
恋愛なら、互いに惹かれ合うことになります。
このように応爻が「陰と陽」の関係にあることを「応じている」などと表現します。
しかしもし、応爻関係にあるものが応じておらず「陰と陰」なら、協力体制が弱々しいです。
そして「陽と陽」ならば、お互い反発します。
ひとつ例を挙げてみます。
たとえば「山水蒙(さんすいもう)」という卦(か)があります。
山水蒙とは「先生が未熟な者を教え導く」という内容ですが、その先生を表す爻は「二爻」です。
(山水蒙二爻の説明はこちら)
二爻の応爻は、下のとおり「五爻」ですね。
これは、二爻と五爻が「陰陽で応じている」かたちです。
そして二爻が先生ですから、正しく陰陽で応じている五爻は「素直な良き生徒」となります。
( 山水蒙五爻の解説も読んでみてください、陰陽で応じていますので良い内容が書かれています)
では、次に「比爻」について、どんな見方をすれば良いのかというお話です。
「比爻」とは、隣り合う爻であることは上記に説明したとおりです。
これもやはり、応爻と同様に、基本的には陰陽で引き合う関係が理想的です。
陰陽で引き合う関係にある場合「比している」などという表現をします。
再び「山水蒙」の卦ですが、今度は四爻に注目してみてください。
応爻の初爻とは「陰と陰」ですから引き合っていません。
初爻は四爻の助けにはなってくれないということです。
さらに「比爻関係」はどうでしょうか?
比爻を見てみても、この四爻が陰であるのに対し、隣り合う三爻も五爻も陰ですから「比する爻もない」ことになります。
このように応爻も比爻も、陰陽で引き合う関係が全く得られないことを「応も比もない」などと表現し、孤立状態にあるとします。
また、この山水蒙の卦は、先生である二爻と、どのような関係にあるかが大事なのですが、四爻にとって二爻(先生)は陰陽を問う以前に、応爻でも比爻でもないため縁が持てない位置にいます。
これでは二爻の先生に導いてもらうことができません。
結果、この四爻には、どのような意味が付けられているか…、
山水蒙四爻の説明をお読みになってみてください。
このように易経とは、ちゃんとした理由に基づいて全ての卦・爻に意味が付けられているのです。