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<爻辞>
「既に雨ふり既に處まる。徳を尚びて載す。婦貞けれども厲うし。月望に幾し。君子往けば凶」
<読み方>
すでにあめふり すでに とどまる。とくを たっとびて のす。ふ ただしけれども あやうし。つきぼうに ちかし。くんし ゆけば きょう。
<爻辞の意味>
「物事が成就した。徳がいっぱいになった。正しいけれども立場は危うい。力を持ちすぎてしまいそうだ。それ以上、強く進もうとするなら凶」
「小さいものが大きいものを止める」ことについて色々と説いたのが、風天小畜の卦(か)です。
その風天小畜の卦において、この上爻は「小さいものが大きいものを止めることをやり遂げた」ところです。
たとえて言うなら、臣下(小)が、君(大)の過ちを止めようとしていて、やがて臣下の真心に打たれた君が改心して軌道修正したというような場面です。
臣下の真心に打たれ君が改心したのならば、臣下としての役目はいったん果たされたはずです。
真心とは言え、出過ぎた力を引っ込めるべき時なのです。
もし、これ以降も、力を振るおうとするならば凶を招くと言っています。
「占った事柄」と「上記の説明」を、スライドガラスを2枚重ね合わせるようにして解釈してみて下さい。
また、下記の
「加藤大岳述 易学大講座」の要約も、ぜひ併せてお読みになり理解を深めましょう。
<説明の要点>
この爻は、小畜の終わりにあって、これまで止め畜えていたものを、施し解き放つという意味の辞がかけられています。
今までは「密雲、雨降らず」だったのですが、上爻が変ずると坎になり、すでに雨が降るところまできたということです。徳の施しをなすところです。
それが「既に雨ふり既に處まる」で、もう雨が降って、やんだように、施しが行き渡ったのです。
「徳を尚びて載す」は、その施しが大きい事を讃えたもので、一陰の柔の力をもって養い蓄えたものが、車に載せるほど大きなものになったということです。
つまり、施しが行われるようになった、文徳も立派になっている…それは誰の力によるものかといえば成卦主爻である四爻が行ったものです。
その徳は非常に盛大となり、車に載せるほどだ。
しかし、その次にはどんな事が起きるのかと言えば、陰が極ったのだから陽が疑われるようになる。
つまり大臣の四爻が小畜の事を成功させたので、いくら正しさを守って努めても、勢いが出て君主をしのいで危ない所が出てくる。
ちょうど坤為地の上爻に「龍野に戦う。其の血玄黄」とあったように君と臣とのけじめがつかないようになってくる。
そう言ったところが「婦貞けれども厲うし」なのです。
「月望に幾し」は望月という言葉があるように、十五夜の満月に近い十四夜くらいにあたりますが、月は陰でそれが充実したものが満月ですから、四爻の勢いをそのままにしておいたら、あまりにも強くなるおそれがある…男が充実するのは良い。また君が充実するのなら良い。しかし婦や臣が、そのようになるのは危険です。それで、「君子往けば凶」と戒めているのです。
この上爻の辞は、小畜が極る時有終の美を挙げる道を教え、かつ戒めたものと言うべきです。
(加藤大岳述 易学大講座 現代語要訳)