かすいびせい ほんか
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━━━主爻
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〈卦辞〉
「未済は、亨る。小狐?んど済らんとして、其の尾を濡す。利ろしき攸なし」
〈読み方〉
びせいは、とおる。しょうこ ほとんど わたらんとして、その びを うるおす。よろしき ところ なし。
〈説明の要点〉
既済に次いで、この未済の卦が配され、これをもって易経の最後を飾ることについては、既済のところで述べた通りです。
この卦は泰における否のように、象意がまったく対照的で、既済が「既に済う」であったのに対し、こちらは「未だ済わず」です。
未済は既済の綜卦であり、裏卦であり、更に未済の互卦には既済があり、既済の互卦には未済があります。
このように、二つの卦は全く離して考えることが出来ない関係です。
既済の時には内卦にあった離が、上に易り(かわり)、外卦にあった坎が下へ移って、炎上の火気と沈降の水気が交わらないので、その用を済えることができません。
また爻象を見ると、これも既済とはアベコベで、六爻がみな位を失っていて、そこにも「未済」という象意があります。
位が不正なのを、陽が位を失い、陰が位を侵したという見方をするのは主卦の主爻(五爻)が陰をもって占めているからだと言えるでしょう。
その点から、帰妹の「女の終わりなり」に対し、この未済は「男の窮まるなり」なのです。
事において言えば、未済は未だ済らない(ならない)時です。
それを川において言えば、未だ済らない(わたらない)ということですが、未だ済わないと言うからには、これから済わせようとするものであることは、言外に汲みとれます。
大いに進み努めて、事を成らしめようとするのが未済ですから「未済は亨る」とあるのです。
これを否の卦を基にして考えてみますと、否の閉塞を通じさせようとした動きの第一歩が、すなわちこの未済となったとも見ることが出来ます。
また既済・未済では、象を狐にとって辞をかけてありますが、坎の狐は下の卦にあるので、この卦では小狐と見ています。
そして、その前方には三四五の坎の水があるのは、まだ川を渡り終えず、これから渡ろうとしている象にも取れます。
力の弱い小狐が初めに奮発しても、川を渡り終えるまで、その力を持ち堪えさせることはできず、ほとんど渡り終えようとするところで、その尾を濡らしてしまいます。
それでは、未済を既済にめぐらすことが出来ないばかりでなく、一層、未済から脱することが難しくなるので、よろしいところが少しもないのです。
また既済では、位が正しく、ことごとく相応じる爻象について述べましたが、同じ観点から見ますと未済は、ことごとく位が当たっていないけれども、陰陽みな応比します。
それによって互いに助け合い、励まし合って、始終廃することなく努めてこそ、既済へ至ることができると言うのです。
また、まったく違った見方から考えますと、上昇の離が上にあり、下降する坎が下にあるこの卦は、その「用」という面においては未だ済らずですが、その在るべき性にかなった所という見地から言うと、いかにも在るべき所に在ると言えるでしょう。
そのように物の区分を明らかにわきまえて、その分に適した正しい所に置くということも又、君子の則るべきところだと言うわけです。
(加藤大岳述 易学大講座 現代語要訳)