<爻辞>
「主に巷に遇う。咎なし」
<読み方>
しゅに ちまたにあう。とがなし。
<爻辞の意味>
「町の小道で、君主に会う」
「火沢睽」は「そむき異なる」ことについて説かれた卦です。
そんな中この二爻は、「賢人が君主に道端で会う」と言っています。
なぜ君主ともあろうお方に道端などで会うのか…、
それは今が「背きあう」時代だからです。
それゆえ正式な謁見はできず、ひっそりと会うしかないのです。
「占った事柄」と「上記の説明」を、スライドガラスを2枚重ね合わせるようにして解釈してみて下さい。
また、下記の
「加藤大岳述 易学大講座」の要約も、ぜひ併せてお読みになり理解を深めましょう。
<説明の要点>
これは、初爻と四爻の場合とは異なり、応爻の五爻と陰陽相応じているので、互いに通じ合おうとするが、大きな睽の気運の中にあるので、心のままに通じることができません。
また、共に位を失っているので正しい常道によることができません。
そういう関係を「主に巷に遇う」と表現しました。
「主」というのは、五爻のことです。
「遇う」というのは、形式を備えず会見することで、常道でないことを指しています。
それも通常の礼儀を備えないのは言うまでもなく、ここではそのことを「巷」と言っています。
睽中にあって、主従が常道でなく相見える場所を「巷」に当てたのは、この場合にはそれが最も適切だからです。
このようにして睽の時にあっても、和順を求める窮通の方法を見出し、咎なきを得るということは、礼を備えなくても道を失うものではないということです。
これは坎為水の四爻を思い出しても理解しやすいことと思います。
(加藤大岳述 易学大講座 現代語要訳)