<爻辞>
「悔い亡ぶ。厥の宗、膚を噬む。往けば何の咎あらん」
<読み方>
くいほろぶ。その そう、はだえを かむ。
いけば なんの とがあらん。
<爻辞の意味>
「悔いはなくなってしまう。深く親密にする。咎めるべき過失は何もない」
「火沢睽」は「そむき異なる」ことについて説かれた卦です。
そんな中この五爻は、そむき異なる時代の君主です。
それゆえ、事は思うように運び難く、悔いることも多いはずです。
しかし、会うべき賢人を自ら訪ね、深く親密に相談するので、過失を回避し物事を解決していくことができるのです。
(この五爻は、先の二爻と対になっています。)
「占った事柄」と「上記の説明」を、スライドガラスを2枚重ね合わせるようにして解釈してみて下さい。
また、下記の
「加藤大岳述 易学大講座」の要約も、ぜひ併せてお読みになり理解を深めましょう。
<説明の要点>
まず「悔い亡ぶ」とあります。
初爻の時と同じで、その悔いとは睽のために起こるものです。
しかし、二爻のところでもあったように、二爻と五爻の中爻は位こそ当たらないが、陰陽相応じているので、睽反の中にあっても相親しみ、睽を取り除こうと努力します。
あえて非礼咎めず「巷にて遇う」謙徳と熱意さえも、君位に在るこの爻が示すのですから、悔いが亡びないわけがない。
このような密接な二爻との関係を表したのが「厥の宗、膚を噬む」であって、宗というのは一族とか親戚とか仲間とかを言い、ここでは二爻のことです。
五爻と二爻の繋がりが、あたかも膚(はだえ)に喰い入るように、深く離れがたいものであると言うのですから、実に共に携えて行って「何の咎あらん」なのであります。
この「何の咎あらん」は、二爻の「咎なし」を強く証言して言ったものです。
咎がないばかりでなく、慶びがあるのだと付け足しています。
(加藤大岳述 易学大講座 現代語要訳)