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<爻辞>
「父の蠱を幹す。子あれば考咎なし。厲うけれども終に吉」
<読み方>
ちちの こを かんす。こあれば ちち とがなし。あやうけれども ついに きち。
<爻辞の意味>
「先代からの乱れを整え治める。子がよく整えれば、父は咎められずにすむ。危ういけれど、最終的には吉」
「山風蠱」の卦(か)は「腐敗を正す道」について説かれた卦です。
そんな中、この初爻は父(先代)から受け継いだ乱れ・腐敗を、その子供が正すというものです。
子が腐敗を正してくれれば、父も咎められることはありません。
ですので、危うさはありますが最終的には吉だと言っています。
「占った事柄」と「上記の説明」を、スライドガラスを2枚重ね合わせるようにして解釈してみて下さい。
また、下記の
「加藤大岳述 易学大講座」の要約も、ぜひ併せてお読みになり理解を深めましょう。
<説明の要点>
蠱の卦の爻辞は「父の蠱、母の蠱」と言って、その本人ではなく先人が作った「やぶれ」を受け継いだ者が、繕い治めていくということを主眼としています。
それというのも、この卦は元々は泰平無事な地天泰であったのが、世が移り人が衰えて蠱の敗れをきたしたものなので、先代が遺していったやぶれを子が治めていかなくてはならないからです。
そして、この初爻には「父の蠱を幹す」とあります。
幹とは「根幹」という言葉があるように物の中心の任にあるものですが、この場合の「幹す」というのは父の作ったやぶれの責務を負うという意味と、そのやぶれを正すという意味とがあります。
蠱を受け継ぐ、蠱を治むということです。
受け継ぐと言っても、もっと大きくしようというのではなく、ととのえたいという意を継ぐのです。
「子あれば考咎なし」とありますが、借金のようなやぶれであっても父の借金を子が返せば、父は咎めを免れると言うわけです。
「考」とは、亡き父のことです。
子供を残していなければ、だれも責任を負ってはくれません。
「厲うけれども終に吉」とは、初爻の蠱は、まだ大きくないところなので負担としても重くはありません。
しかしこの爻は、陽位に陰でいるので力が弱く、過激に陥る恐れはないが、なんとなく頼りない。
そのことを「厲うけれども」と言っています。
しかしやぶれ自体が小さいので、この弱い初爻でも、やって出来なくはない。
だから父の責をただすことを成し遂げれば吉なのです。
(加藤大岳述 易学大講座 現代語要訳)