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〈爻辞〉
「爾の霊亀を舎て、我を観て頤を朶る。凶」
〈読み方〉
なんじの れいきを すて、われをみて おとがいを たる。きょう。
<爻辞の意味>
「自分の持っている素晴らしさを捨て、他を見て羨ましく思う。凶」
「山雷頤」の卦(か)は「養いの道」について説かれた卦です。
そんな中この初爻は、自分自身を養い、また人をも養うだけの能力・才能を持ちながら、他の人を羨ましく思ったりします。
自分に誇りを持たず、人を羨んでばかりいるようでは凶だと言っています。
「占った事柄」と「上記の説明」を、スライドガラスを2枚重ね合わせるようにして解釈してみて下さい。
また、下記の
「加藤大岳述 易学大講座」の要約も、ぜひ併せてお読みになり理解を深めましょう。
<説明の要点>
この爻辞の中には、珍しく爾と我という対称を用いています。
これは上爻が初爻に対して言っているもので、我が上爻で、爾が初爻です。
次に「霊亀」という言葉が出て来ますが、これは霊能のある亀のことで、簡単に言えば尊いものということになります。
余談ですが、亀という動物は、飲食の道において非常にしつけの良いもので、節度をよく守ります。
人が見ていると食べない、また食欲が非常に少ない、節制を守る。
「我を観て頤を朶る」とは、もの欲しげな顔をすることです。
初爻は猛動の主で、自分に相当の働きがあり、立派な力を持っているにも係わらず「よその花は綺麗」で、それを見てよだれを垂らす。
よだれを垂らすだけならまだ良いのですが、イソップ物語の犬のように橋の上から川を見て、自分が映った陰とは知らず、川の中に魚をくわえた犬がいるので「わん」と吠え、魚を落としてしまった……というのと同じで、せっかく自分の持っていた良いもの、個性を捨てて他のものを欲しがるのです。
そういうことは勿論「自ら口実を求む」で、自らに適ったものを摂取しなくてはならない頤の道において最も凶とすることです。
いかに働いても、貴いとはされないところです。
霊亀の霊力を台無しにしてしまいます。
これは下顎の卑しさ、自らを尊ぶ心のないことを説いたものです。
(加藤大岳述 易学大講座 現代語要訳)