山水蒙(さんすいもう)本卦

独学者のための易経解説
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山水蒙 本卦

さんすいもう ほんか

山水蒙 本卦の解説

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━━━主爻
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<卦辞>
「蒙は亨る。我童蒙を求むるにあらず。童蒙我を求む。
初筮は告ぐ。再三すれば瀆る。瀆るれば則ち告げず。貞に利ろし」

<読み方>
もうは とおる。われ どうもうを もとむるにあらず。
どうもう われをもとむ。しょぜいは つぐ。さいさんすれば みだる。
みだるれば すなわち つげず。ていに よろし。



<説明の要点>

山水蒙は、内卦が坎の水、外卦は艮の山。

前にどっしりとした山があり、その麓に水気が霧となって立ち込め峰も谷も定かに見えないほど蒙々と煙っている。
この風景が山水蒙です。

これを人物に当てはめると、「ぼんやりしている」「愚痴」……良いほうでとれば、稚い(わかい)とか、あどけないとか、まだ知恵の吹かない可愛らしい姿とかに見ます。

また、この字は衆(人々)の上に「一(天日)」が輝き、しかしその上に草が覆って光をさえぎってしまっている 形をしています。

つまり、暗いために物がはっきりしない、解らない。

違う見方としては、草葺き屋根の下に家畜が隠されている字だというのもあります。

また、「人」に当てて考えた場合、ひとつ前の屯は男女が交わり新しい生命が生まれただけで、それがどんな風に成長していくのか、はっきりしない悩みがありました。

しかし蒙は、その屯の後を受け、稚くして蒙暗の中にいながらも、その内部には先天性、素朴な実質を持っているのだから、それを発揮させるよう正しく導いていかなくてはならない、ということです。

蒙の卦は、稚い(わかい)命が人生を学びとって行くのに象って説かれたもので、二爻が成卦主爻で師となり、衆陰を教え導く任に当たります。

山水蒙の卦辞にも「亨る」とありますが、屯同様に、直ちに亨るというわけではありません。

まだ前後も解らないような稚ない(おさない)状態にあるわけですから、何事にもくらい。

したがって進むにしても退くにしても、自分一人の力ではどうにもならない。

良き指導者を得て、それに従って覆いかぶさっている暗い殻を脱ぎ去り、充分育った上で初めて亨るのです。

そのため山水蒙は、立派な師を迎えるべきとの教え、またその迎え方の作法を教えた卦です。

童蒙が、二爻の師を敬い、自分の蒙をひらいてもらう……それを二爻の師の側から説いたのが「我、童蒙を求むるにあらず。童蒙、我を求む」です。

つまり師のほうから「教えてやるから来たまえ」と言うのではなく、生徒の方から「ここが解りません」と礼儀正しく教えを乞うべきで、それが学問の正道だと教えています。

「三尺下がって師の影を踏まず」といった礼儀が学問をする者には必要だというのです。

「初筮は告ぐ~~」については、元来、筮竹でもって神に答えを問うということは、自分の知恵では解決できないものを教え示してもらおうということです。

ですから最も信頼をこめてすべきであり、行う際には一切の疑心、惑念を差し挟んではならない。

しかしいくら正しい答えであっても、自分の不利な答えとなった場合などには、かえって迷いを起こし、受け入れようとしない。

そのため二度三度と筮を重ね、混乱し、正しい判断ができなくなる。

そういうことは、易を冒涜することであり、神聖を恐れぬ行為ですから、神も告げてくれない。

それと同様に、ものを尋ねる者が疑い深かったり、何度教えても忘れてしまったりというのであれば誠実さを欠くとし、教えない方がよい。

生徒の側から言えば、教えを求めるのには筮を執って神に問うがごとくの誠実さで、求めるべきだと戒めています。

加藤大岳述 易学大講座 現代語要訳)