すいざんけん ほんか
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━━━主爻
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〈卦辞〉
「蹇は、西南に利ろしく、東北に利ろしからず。大人を見るに利ろし。貞しければ吉」
〈読み方〉
けんは、せいなんに よろしく、とうほくに よろしからず。
たいじんを みるに よろし。ただしければ きち。
〈説明の要点〉
蹇は難であり、別の見方は一つもありません。
それを文字の上から考えてみますと、蹇という字は「寒」の内にある「ン」を省略し、足を加えて出来ています。
ですから、足が凍え縮まって、伸びない……あしなやむ、ゆきなやむという意味です。
外卦の坎は陥険であり、内卦の艮は抑止です。
険中に止まる象ですから、ゆきなやむ意味を取ることが出来ます。
これが、同じく行き悩む卦でも「屯」とは相違する点で、屯のほうは険中にあって進もうとする悩みであったのに対し、これは険中に止まって動かないための難みです。
あるいはまた、屯は進んで難みを脱しようとする難みであったのに対し、これは止まって難みを耐えしのごうとする難みであるとも言えるでしょう。
さらに言えば、屯は気力があって時が未だ熟さない草昧の難であったのに対し、これは力足らずして自ら伸びざる跛行(はこう=足をひきずって歩く)の難に当たるわけです。
前者は「時」に関し、後者は「力」に関して、その坎険を考えてみるべきだという見方もできるのです。
「蹇は、西南に利ろしく、東北に利ろしからず」とありますが、火沢?や風火家人などと同様、その卦徳には触れず、処すべき卦の用が記されています。
西南・東北の方位を挙げて、進退を示しているのです。
西南をもって陰位とし、東北をもって陽位を表現しています。
すなわち陽を進むとし、陰を退くとし、また陽をもって難きを行う難行道とし、陰をもって易き(やすき)につく易行道とするとするわけですが、蹇は「あしなやむ」卦なので、進むを制し、止まって易きにつくべきを教えたものです。
元来、坎を苦しみ病むとし、艮を腰とするところから、この卦には足難む跛行の象があるわけで、単純にその観点だけからしても、坤の平地の易きに従い、艮の険阻の難きを避けなくてはなりません。
その力がまったく弱いために、進まずに退くを可とするのです。
そのような有様では、独り立ちで事を運ぶのはおぼつかないので、大人有徳の者の力を借りて、その弱さを助けてもらわなくてはならないですし、それには自分を立てずに人に従うという「貞」の建前で正しいところにつかなくてはならないというのが「西南に利ろしく、東北に利ろしからず」をさらに親切に説いた「大人を見るに利ろし。貞しければ吉」の辞なのです。
(加藤大岳述 易学大講座 現代語要訳)