たくてんかい ほんか
━ ━主爻
━━━
━━━
━━━
━━━
━━━
〈卦辞〉
「夬は、王庭に揚ぐ。孚にて號う厲うき有り。告ぐるに邑よりす。戎に即くに利ろしからず。往く攸有るに利ろし」
〈読み方〉
かいは、おうていに あぐ。まことにて よばう あやうき あり。つぐるに ゆうより す。じゅうに つくに よろしからず。いくところ あるに よろし。
〈説明の要点〉
「夬は決なり」と言って、夬に三水偏をつけたのが決です。
ですから決断とか決定とかに熟して用いられるように、何かの勢いが極まるところまで行って、それを一思いに片づける(定まる)と言った意味の文字です。
あるいは一つの激しい勢いをもって分裂する事などにも使います。例えば「決壊」などといった感じです。
なぜ、そのような意味をこの卦に見たかと言えば、象に則して言えば内卦は乾の天、外卦は兌の水です。
水が天上に在る、と言っても、この水は天上にある水ですから水気と見ます。
水気が高く天上に上っているので、それが凝って勢いが極まると雨となって降るからです。
地上において、これを見てみますと、外卦の兌を沢とします。
沢は窪地に水が貯まったもので、上の一陰が入口、下の二陽が水です。
そしてこの卦を初爻から上爻まで全てで見ますと、沢の水が更に充実し、深さが増します。
そのように水が増せば、その水はどこかへ溢れなくてはならなくなります。それが決壊の象です。
しかしむしろ、その卦が夬と名づけられたのは、消長卦としての見方からによるものでしょう。
陰陽消長の理から、下の五陽が上爻を決断するのですが、そのことをこの卦では、どういう事柄に当てているのでしょうか?
それは、上爻は陰で小人です。この小人が、この卦では一番高い所にいるのです。
それを社会に当てはめますと、力の足りない人、徳においても欠けるような人が、そういった高い地位に就いているのは正しくないし、世を誤り民を苦しめる基となるので、それを決し去るべきである、という風に見ています。
「王庭に揚ぐ」というのは、力量もなく徳望も少ない小人が一番高い位に就いているため、善政が行われない……そこで王庭に揚げ訴えて、その事を明らかにしようとするのです。
どうしてそんな辞があるのか、象から見て行きますと、外卦の兌を喜悦とし、侫人とし、口先ばかりとします。上爻は、その主爻です。
また、兌を説くとし、訴えるとし、告げるとし、乾を官としますので、陰邪・小人の上爻を去らせることが正しいと王庭に揚げ訴えると見ての辞です。
現実的には、権謀や術策として行われたりもしますが、本来はそうであってはならない、ほとばしる熱誠からでなくてはなりません。
自分の地位昇進のためだとか、偽善行為であってはならず、あくまでも天下国家の福祉を願うところからの夬でなくてはなりません。
それを「孚にて號う」と言っています。
そして、上爻は本来、王の師伝・顧問官などであり、そういう高位高官の非を揚げ訴えるのですから「厲うき有り」です。
訴える側、訴えられる上爻、そして一般の人民等、それぞれに厲うさがあるわけですが、ここでは「孚にて號う厲うき有り」ですから、訴える側の厲うさを意味しています。
「告ぐるに邑よりす」とは、上爻のような陰邪な小人が国政を司ったり、その背後にいたりすれば、それに対する不平不満が遠い村々からも起こって来るということです。
あの小人を処分するか交代させるなどして欲しいと、段々下から声が湧き、遠いところからも叫ばれるようになるというのです。
一つの会社にしても団体にしても、これは大変な事態なのですが、ではその陰爻を?尽するため武力暴力を用いて良いかと言えば「戎に即くに利ろしからず」で、それはよろしくないと言っています。
それは上爻とは、君の師伝・顧問官など高位にある爻なので、もし武力を用いれば相手もまた防ぎ戦うこととなり、理がいくらこちらにあっても私闘となる恐れがあり、世を乱すことにもなります。
小人を決し去るために世を乱し、人を殺傷するのは良いことではなく、決し去る気運というものが自ずと出てくるという意味です。
「往く攸有るに利ろし」とは、正しい者(陽爻)が正しいことを主張して陰邪を決していくのだから、あえて武力を用いなくても、途中で志を曲げるべきではなく、往くところまで往くべきだ、終わりを遂げるべきだと言っているわけです。
(加藤大岳述 易学大講座 現代語要訳)