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<爻辞>
「萃如。嗟如。利ろしき攸なし。往けば咎なし。小しく吝」
<読み方>
すいじょ。さじょ。よろしき ところなし。いけば とがなし すこしく りん。
<爻辞の意味>
「集まることに、ため息をつく。何をしても上手くいかない。進んで行けば咎めを受けることはない。少し恥ずべきことだ」
「沢地萃」とは「たくさん集まる」ことについて説かれた卦(か)です。
そんな中この三爻は、集まるべきところ(仕えるべきところ)を知っていても縁故がなく近づくことができません。
それで、ため息が出るのですが、こんな状態では何をしても上手くいきません。
そこで近くにいる者(四爻)に付き従うことにより、間接的に仕えたいと言うならば、四爻はそれを受け入れてくれます。
しかし、それは少し恥ずべきことだと言っています。
「占った事柄」と「上記の説明」を、スライドガラスを2枚重ね合わせるようにして解釈してみて下さい。
また、下記の
「加藤大岳述 易学大講座」の要約も、ぜひ併せてお読みになり理解を深めましょう。
<説明の要点>
この三爻は、意味や地位が、初爻と非常に似ています。
違うのは、四爻が比爻であるか、応爻であるかだけです。
「萃如。嗟如」というのは、初爻の「乃ち乱れ乃ち萃る」と同様の意味で、萃如は集まろうとする形容です。
嗟というのは、五爻に集まろうとしても比爻の四爻に惹かれてあつまれず、嗟いて(なげいて)いることです。
心が決まらず、目標も定まらないので嗟いているので、これでは少しも良いところがありません。
それを教えるのに「往けば咎なし」と言っているのですが、小人は、そうしなくてはならないことが分かっていても、なお迷っていて五爻の元にあつまる勇気がない。
そのような小人は吝であり、やぶさかなところがあるわけで、これでは咎なきを得るわけにはいきません。
五爻は、この三爻が集まって来ることを拒まず、その志を受け入れるので、あつまって行きさえすれば咎なきを得るのです。
(加藤大岳述 易学大講座 現代語要訳)