ちふうしょう ほんか
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━ ━主爻
〈卦辞〉
「升は、元いに亨る。用て大人を見る。恤うる勿れ。南征すれば吉」
〈読み方〉
しょうは おおいに とおる。もって たいじんを みる。うれうるなかれ。なんせい すれば きち。
〈説明の要点〉
一つ前は「集まって来る」という萃でしたが、では集まった人々なりをいかに選別して、それぞれの役に就かせ、その手腕を発揮させるかが次には重要となってきます。
それを疎かにしたり誤ってしまっては、せっかく集まってきたものも台無しとなってしまいます。
そのような課題を見たのが、この升です。
萃は、集めて保つ君・主の立場から見たもの。
升は、それに応じて「進み赴く」で、臣・従の立場から見たものです。
升は「のぼり・すすむ」です。
「升は、元いに亨る」とありますが、升が亨るのは自主的に亨るのではなく、挙げ用いられ力を致して亨るのですから、自分の才能を発揮させてくれるものが無くてはなりません。
それが「用て大人を見る」とある所以です。
しかし、用いられて力を致す立場であってみると、果たして挙げ用いてくれるかどうか、初めに思い惑うのは当然です。
外卦の坤を包るる(いるる)とするのに対し、内卦の巽を遅疑するとして、そこに思い決せないところがあり、この卦が坎の似卦であるような心労をなすわけです。
しかし「心配無用…いや心配してはいけない。自分の能力を高く評価してもらえる明るい方へ向かって進みさえすれば良いのだ」と教えているのが「恤うる勿れ。南征すれば吉」です。
上記は、人事の昇進についてですが、今度はこれを自然の上で考えてみます。
上卦の坤は土、巽は風ですが、地の下の風などは現象として考えられません。
ですから風の「入り込んでゆく」性質から、土の下に入りこんでゆくものなら、それは木の根です。
けれども、根だけの木などというものはありませんので、これはまだ地上に伸びない芽が、地中に在るのだと考えて良いでしょう。
しかし、木の根が地中に埋もれているというのも、やがては伸び育って大きくなっていくためです。
それが象で見た自然界の升です。
ところで、木の芽が伸びるのも、人が昇進して行くのも、自分の気ままに出来るものではありません。
相手や環境に左右され、あくまでも受け身の立場に置かれます。
あたかもそれは、この卦の成卦主爻である初爻が陰であるように、柔をもって従うというやり方で、進み行ける時を待たなくてはいけません。
上卦の徳を順とし、下卦の徳を巽とする、その巽順さを持つことが肝要なのであって、もしもこれが、その時でもない寒中などに気ままに芽が伸び出したりする強剛さで進んだならば、たちまち凍えて枯れてしまう
のです。
(加藤大岳述 易学大講座 現代語要訳)