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<爻辞>
「其の配主に遇う。旬と雖も咎なし。往きて尚ばるる有り」
<読み方>
その はいしゅに あう。ひとしと いえども とがなし。いきて たっとばるる あり。
<爻辞の意味>
「その仲間に遇う。等しいが咎められるようなことはない。進んでいけば功績を成せる」
「雷火豊」とは「豊かさに処する道」について説かれた卦(か)です。
そんな中この初爻では「その仲間に遇う」と言っています。
「等しいが咎められるようなことはない」というのは、易経独特の意味をもって表現されています。
この初爻は「陽爻」であり、応爻の四爻も「陽爻」ですから、両者は「不応」です。
自然と引き合う関係にはありません。
(この辺りの説明が解らない場合は、易の基本3~6をお読みください)
「等しい」というのは、陽同士であることを言っていて、それに対し「しかし咎められることはない」と続いています。
「咎められることはない」というのは、この両者はともに(陽爻ゆえ)能力・道徳のある者であるため、出逢って仲間となることは咎められない。
むしろ進んで仲間となって行けば、豊かさを盛大にしてくことができ良いことだとしています。
「占った事柄」と「上記の説明」を、スライドガラスを2枚重ね合わせるようにして解釈してみて下さい。
また、下記の
「加藤大岳述 易学大講座」の要約も、ぜひ併せてお読みになり理解を深めましょう。
<説明の要点>
震雷と離明とが合わさった「勢いの盛大さ」というものが、この卦にはあります。
しかしそれを各爻に推してみますと、応位にある震と離のそれぞれの爻が、必ずしも応和しているわけではありません。
この観点がしっかりつかめないと、卦象と爻象がピッタリきません。
従来、この卦を難解として諸説紛糾したのも、その点を見落としたためと思われます。
初爻で、「配主」と言っているのは応位にある四爻のことで、自分と配遇して力を合わせるべき相手です。
しかし、その四爻は初爻と不応ですが、その同徳が相たすけて豊を保って咎なきを得ます。
そればかりでなく進み赴いて、この初爻が敬遇を受けるというのを「旬と雖も咎なし。往きて尚ばるる有り」と言っています。
そのような協力が可能なのは、この爻がまだ卦の始めにあって、豊の盛大さがまだ極まり衰えていないからだと言えるでしょう。
豊の卦は勢いが過ぎれば憂いを生じます。
そしてまた、配遇の四爻が震の主爻で、その正徳を備え、明をもって動こうとして、この爻を夷主として迎えるからです。
(加藤大岳述 易学大講座 現代語要訳)