すいふうせい3

独学者のための易経解説
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水風井 三爻

すいふうせい さんこう
まずは、やさしい解説から

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<爻辞>
「井渫えども食われず。我が心惻みを爲す。用い汲む可し。王明らかなれば並びに其の福を受く」

<読み方>
せい さらえども くらわれず。わがこころ いたみを なす。もちい くむ べし。
おう あきらかなれば ならびに その ふくを うく。

<爻辞の意味>
「水底の汚れをさらっても、飲まれない。我が心が痛む。汲み上げられるべき。賢い君主なら、そのようにするから幸福を受ける」

「水風井」とは「養う」ことについて説かれた卦(か)です。

井戸の水が人や植物などを養うことに喩えています。

そんな中この三爻では「井戸の底を綺麗にさらって飲める水にしたというのに、飲んでもらえない」と言っています。

本来なら、ぜひ多くの人に飲んでもらい、この井戸が大きく役立つようにすべきです。

もし賢い君主がそのようにするならば、皆が恩恵を受けられるのです。


「占った事柄」と「上記の説明」を、スライドガラスを2枚重ね合わせるようにして解釈してみて下さい。

また、下記の
「加藤大岳述 易学大講座」の要約も、ぜひ併せてお読みになり理解を深めましょう。


加藤大岳述 水風井 三爻

<説明の要点>

これも陽爻なので井戸の水に当たるわけですが、未だ井水として汲み用いられていないのです。

段々上の方に近くなり、水質も良くなっているし、位に正しく座っているので、水脈にうまく当たっていると見ることが出来るのですが、これを用いる五爻との関係が、やはり応でも比でもありません。

したがって水そのものは良いのですが、使ってくれる人がそれに気付かないと言えるでしょう。

井泥、井谷、井渫と、上にくるほど水が新しく清くなってきますが、これは同じ井戸の上下だけでなく、別々の井戸として見ることもできます。

初爻は、廃墟で使えないもの。

二爻は、剛中なので水があることは判っているのだが、岩角がゴツゴツしていて(井谷)釣瓶を使おうとしても岩に当たって手元に汲み上げるまでには釣瓶を壊してしまうような井戸。

それで、せいぜい岩間に住む鮒を養うくらいにしかならない。

三爻は水質も良く、水替えもしてありますが、場所が悪いか何かで充分に利用できない井戸……そんな風にそれぞれの井戸の在り方を見ることも出来ます。

そして、この三爻は用いられないので「我が心惻みを爲す」です。しかし三~五爻に離があり(智・明らか・見る)、五爻と応でも比でもなくとも、この三爻は離の一体となっているため、五爻の英知に見出され、救われる道もあります。すでに渫ってある水なので「用い汲む可し」なのです。汲まないのは汲まない方がウッカリしているのです。

汲むべき水を、役に立つ人を、その存在に気がついて採用するだけの明識があるならば、その福は「往來井井」で、誰も彼もが利益を得ます。

用いる王が利益を得るばかりでなく、またこの用いられたこの爻の喜びとするばかりでもなく、天下の人々のために福を致すことになるというのです。

用いられないことは、この三爻にとって単なる不満なのではなく、せっかく内に持っているものを行い現すことができないことを口惜しく感じているのです。

それを見つけ用いるだけの王の明らかなるを求むるのは、決して自分だけの栄達を欲するのではなく、世のすべての人に福を受けさせたいからなのです。

加藤大岳述 易学大講座 現代語要訳)


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