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<爻辞>
「隨いて獲る有り。貞しけれども凶。孚有り道に在り。以て明らかならば何ぞ咎あらん」
<読み方>
したがいて うる あり。ただしけれども きょう。まことあり みちにあり。もって あきらかならば なんぞ とがあらん。
<爻辞の意味>
「君主に従いながら、君主の臣下を我が物のようにしている。正しいことをしていても、それでは凶。しかしまことの心で正しい道を進み、聡明であるならば、咎められるような過失をおかさずに済む」
「沢雷随」の卦(か)は、「従うこと」について説かれた卦です。
そんな中この四爻は、君主に従がいながらも、臣下からの信望が自分に集まってしまい、君を凌ぐような状態になっています。
そのよう状態に至ってしまっては、いくら正しいことをしていても禍を受けるべきなのです。
では、どうすれば良いのか…。
それはこの四爻が、あふれるほどの真心をもって正しい道を貫き、聡明であるならば、咎められることはないと説いています。
「占った事柄」と「上記の説明」を、スライドガラスを2枚重ね合わせるようにして解釈してみて下さい。
また、下記の
「加藤大岳述 易学大講座」の要約も、ぜひ併せてお読みになり理解を深めましょう。
<説明の要点>
隨は、時あって人に従う卦でしたが、五爻の隣りに陽で居るので、その勢いが五爻と比べられる位です。
また人民も、直接的に君に従うと言うよりも宰相などを通じて従うほうが多いので、民衆は直接、宰相である四爻に集まってくるのです。
隋の時に「獲る有り」というのは、自分に従ってくる者が多い……五爻の君に従い付くのではなく、君側にある四爻に集まってくる。
これは時の勢いであり、嫌だと言ってもどうすることもできないのですが、その集まってきた者を私党として自分のものとしてはいけません。
そういうのが「貞凶」で、自分の地位などを固めるために私党を作ったりするのは凶であるというのです。
そういうことをせず、自分に集まる時であっても、驕らず努めれば、「孚有り道に在り。以て明らかならば何ぞ咎あらん」なのです。
民が自分に集まってきたとしても、本人が自らの立場を知り公明正大ならば、何の咎めも受けません。
そのようであれば、君を凌ぐ疑惑の目が向けられることも免れるのです。
(加藤大岳述 易学大講座 現代語要訳)