たくちすい初

独学者のための易経解説
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沢地萃 初爻

たくちすい しょこう
まずは、やさしい解説から

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<爻辞>
「孚有りて終えず。乃ち乱れ乃ち萃る。若し號えば一握笑いを爲さん。恤うる勿れ。往けば咎なし」

<読み方>
まこと ありて おえず。すなわち みだれ すなわち あつまる。もし よばえば いちあく わらいを なさん。うれうる なかれ。いけば とがなし。

<爻辞の意味>
「真心を持っているが、それを貫けない。心が乱れる。後悔して泣き叫べば、手を握り笑うことになる。心配しなくてよい。行けば咎められる過失はない」

「沢地萃」とは「たくさん集まる」ことについて説かれた卦(か)です。

そんな中この初爻は、誰のもとへ集まるべき(仕えるべき)なのか迷い乱れる者です。

初めは四爻のもとに集まり仕えますが、本当は五爻に仕えるのが正しい道なのだと気付きます。

そのため「四爻への真心は本物だが、それを貫けない」と言っています。

そうして何とか五爻のもとへ行こうとしますが、縁もゆかりもなく上手く行けません。

そこで後悔して泣き出すのですが、その姿を見た四爻が再びこの初爻と手を握り合ってくれます。

初爻は直接、五爻に仕えることはできませんが、この四爻を通じて間接的に使えることができます。

そのことは過ちではないので、四爻のもとへ進んでいけば咎めは受けないと言っています。


「占った事柄」と「上記の説明」を、スライドガラスを2枚重ね合わせるようにして解釈してみて下さい。

また、下記の
「加藤大岳述 易学大講座」の要約も、ぜひ併せてお読みになり理解を深めましょう。


加藤大岳述 沢地萃 初爻

<説明の要点>

主卦の主爻(五爻)の元に集まって行くことを基にして、爻象を見て行きますが、この初爻は応にも比にも当たりません。

ですから、五爻の元に集まるべき萃の時にあたって、応爻である四爻に集まろうとするのです。

孚とあるのは、坤の下爻で、その内の虚しいことを「私心が無い」とし、五爻に集まる正しい気持ちに喩えていますが、初爻で力も弱く、応でも比でもないので、気持ちはあっても行けないのです。

そうした進みたいのに進めないところを「乃ち乱れ乃ち萃る」と言っています。

しかし、その苦しみ・悩みを声に出して言ったなら、簡単に片付いて喜びに変わります。

それが「若し號えば一握笑いを爲さん」です。一握というのは、容易にという意味です。

苦悩が解けて微笑に変わる……手を握り合うとかして「なんだ、そうだったのか」と笑って事を済ますことができる。だから「恤うる勿れ」です。

もっとも五爻の方は、応でも比でもないので、そのままでは初爻の志を汲み取ってはくれません。

あちらから手を伸ばしてくれるようなことは、ないのです。

だから、五爻のところへ行くべきと知っていながら迷ってしまい、縁が無いので行けず、応である四爻に引かれたりします。

そんな風に、進退に迷って苦しむわけですが、こちらから進んで縁を結んで行かなくてはいけません。

進んで集まる気持ちのあることを號えば「そうか、それなら早くそう言えば良かったのに」と言って、受け入れてくれると言うのです。

加藤大岳述 易学大講座 現代語要訳)


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