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<爻辞>
「貞吉。悔い亡ぶ。憧憧として往来すれば、朋爾の思いに従う」
<読み方>
ていきち。くい ほろぶ。しょうしょうとして おうらいすれば とも なんじの おもいに したがう。
<爻辞の意味>
「正しいものに感じるならば悔いるようなことはない。互いに感応するもの同士が、しきりに行ったり来たりする。仲間が自分の思いに従う」
「沢山咸」とは「感じる」ことについて説かれた卦(か)です。
そんな中この四爻は、「心」に感じることを表しています。
その上でまず初めに、感じる対象は正しいものでなくてはいけないと戒めています。
そして、互いに感じ合うのですから、自然と盛んに往来することとなります。
そのようであれば相手は自分の思うところに従うようになると言っていますが、その感じる対象は広く公明正大であるべきで、あまり狭い範囲に偏ってはいけないと戒めも含まれています。
「占った事柄」と「上記の説明」を、スライドガラスを2枚重ね合わせるようにして解釈してみて下さい。
また、下記の
「加藤大岳述 易学大講座」の要約も、ぜひ併せてお読みになり理解を深めましょう。
<説明の要点>
この沢山咸の卦には、成卦主爻として明確に指し示すべき爻がありません。
それは足先から頭まで、感じないところはないからでしょうか。
しかし「咸」という字に「心」を加え、「感」と書いてこそ初めて「感」という雰囲気が出るように、感ずることの根幹はやはり心にあります。
そして、心は胸にあるとの考えからすると、この四爻が卦の主爻と言うべきでしょう。
(四爻は、胸・腹の位置)
まず初めに「貞吉」とありますが、これは正しいものを感受し感応すべきだという意味です。
しかしこの四爻は、陰位に陽で居り、初爻の陰と感応しているのですから咸の道に適わず悔いを生じやすいです。
ただ、初爻と四爻が感ずるとはいえ、初爻は志が外にあるだけで、まだ足の親指をピクピク動かしたばかりで、互いに行き来したわけではなく、正しくない咸に入り込んでいるわけではありません。
ですから、「悔い」に至らずに済む。
「憧憧往来」の「憧憧」とは、心が安らかでないことです。
聖人は別として、多くの場合は自分の好むものを愛して感じ、交わるのが普通です。知性ではいけないと分かっていても、思いのままにならず、愛するものところへ走ってゆきます(=憧憧往来)
「朋爾の思いに従う」とは、自分と同じ陽爻(三爻と五爻)を「朋(とも)」とし、皆それぞれに、その私情のままに思い感じているという現実を詠嘆しているわけなのです。
(加藤大岳述 易学大講座 現代語要訳)