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<爻辞>
「日昃くの離。缶を鼓ちて歌わず。即ち大耋の嗟あり。凶」
<読み方>
ひ かたむくの り。ふをうちて うたわず。すなわち たいてつの なげきあり。きょう。
<爻辞の意味>
「太陽が西に傾く。とっくりを叩いて歌うことをせず、年を取ったことを嘆く。凶」
「離為火」は「付く・明らか・太陽・火」を意味する卦(か)です。
そんな中この三爻も「太陽」の意味において説かれています。
太陽が西に沈みかかる時……それは、人で言えば老人を指します。
老人となったらなったで、それ相応の生き方、楽しみ方をするべきですが、この三爻の老人は皆で歌うこともせず、ただいたずらに年を取ったことを嘆いて暮らします。
そんなことでは凶だと言っています。
「占った事柄」と「上記の説明」を、スライドガラスを2枚重ね合わせるようにして解釈してみて下さい。
また、下記の
「加藤大岳述 易学大講座」の要約も、ぜひ併せてお読みになり理解を深めましょう。
<説明の要点>
これは内卦の離の終わりにあるので、一日で言えば日暮れです。
人生で言えば、一代の終わるところ、老衰の人です。
これを「日昃くの離」と言い「大耋」と言ったのです。
「昃く」という字は、日と仄かという字を合わせたもので、日光が仄かになる夕暮れのことです。
また、「耋」は老と至るを合わせ、「老いの至り」を表し、80歳のことです。
そこで、人生の夕暮れが迫って、若さを取り戻そうと焦るのは、沈む太陽を中天に戻そうとするようなものであり、望んで叶うものではありません。
だからと言って、老いの身を嘆いてばかりいるのは、日が沈んでいく、どうにもならない自然の約束を徒に悲しむようなものです。
それより老い衰えるのも天命であることを悟り、安んずるところを得て、酒を呑んで、その缶を鼓って楽しむような楽観性を持てば良いのだが、人はなかなかそのような境地に至ることは難しいものである。
天に命をゆだね楽しむ境地は、天命に麗き従って、道を失わないという一つの離の道だと言えます。
しかし、陽位に陽で居るこの三爻には、それが出来ず、徒に燃え盛ることを欲し、それが叶わないと老いを嘆くありさま……だから凶なのです。
(加藤大岳述 易学大講座 現代語要訳)