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〈爻辞〉
「白く賁る。咎なし」
〈読み方〉
しろく かざる。とがなし。
<爻辞の意味>
「飾りをすべて無くしてしまった。咎めを受けるようなことはない」
「山火賁」の卦(か)は「飾る道」について説かれた卦です。
そんな中この上爻は、飾りをすべて取り払い、装飾がまったくない状態を言っています。
自然のまま、本質へかえるということです。
飾りがまったくないことを飾りとする……そのようであれば咎められる過失もないと言っています。
「占った事柄」と「上記の説明」を、スライドガラスを2枚重ね合わせるようにして解釈してみて下さい。
また、下記の
「加藤大岳述 易学大講座」の要約も、ぜひ併せてお読みになり理解を深めましょう。
<説明の要点>
この爻は外卦艮の主爻で、五爻は丘でしたが、これは山の上です。
山の上などに賁りとすべきものなど、あまりありません。
文化文飾は都のものだからです。
それで賁るべき物のないことをもって、自分の賁りとする。
それを「白く賁る」と言ったのですが、それは例えて言えば学もあり、徳もある、いわゆる悟った人が浮世の栄辱に心を用いることなく、楚々と生きて行く。
そこにはいささかの衒い(てらい)もない。
つまり、賁らないことが、かえって立派な賁りになるようなものです。
初爻は具えている趾を動かして賁り、五爻は天から与えられた自然を賁り、上爻は何もないところを賁りとしています。
これは仙骨哲人の心境と言うべきでしょう。
もの極まれば変ずる理によって、卦の極まるところに賁が無飾に変ずることを示したのです。
賁ることも上爻に至って真に得たということです。
しかし、この辺りは、哲学的理念上で説かれているので、普通の社会には、これでそのまま吉を得るわけではありません。
ですから真に得たと言いながらも、吉とは言わずに、咎なしとされています。
(加藤大岳述 易学大講座 現代語要訳)