かたくけい ほんか
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━ ━主爻
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<卦辞>
「睽は、小事に吉」
<読み方>
けいは、しょうじにきち。
<説明の要点>
ひとつ前の「風火家人」をさかさまにしたのが、この火沢睽です。
風火家人には女が順しく(つつましく)家を有つことを見ましたが、この卦はそれとは反対に角突き合って乱れている象意を見ています。
家人の泰に対して、この卦は否に当たっていると言えましょう。
「睽」は「ケイ」と読み、「そむく」と読みます。
目は離であって、外卦の火。
「癸」は陰の水で内卦の兌に当たります。
外卦の火は炎上し、内卦の水は沈下し、互いに背き異なる性質があるので、この卦名となった わけです。
ですから「睽」には、「そむく」意と「ことなる」意と、二つあるのです。
外卦と内卦が背反するのは、天地否や天水訟も同じです。
では何故、天水は訟で、火沢は睽(そむく)であるのでしょうか?
それは、天水は男卦であり火澤は女卦であり、また乾を公とし、坎を法とするところから、前者はその遂げるところを訴訟と見て、後者は離を目とし兌をそしるとするところから、内に反目すると解して睽とみたとも言えるでしょう。
また、離兌を人に当ててみても、離の中女と兌の少女が一家の中にいて、一人は上に昇ることを望み、一人は下に止まることを望むというのように、反目していると見ることができます。
そして風火家人においては、女卦であるので内卦二爻が陰位に陰でおる正しさを重く見ました。
しかし火沢睽の場合は、同じ女卦でありながら、内卦二爻は陰位に陽でおり、代わりに陰が五爻へ行っています。
これは、火沢睽においては、女が出でて位を外に失っているということです。
あるいは、陰の爻を主とすれば、位を外に得たという見方も出来ます。
不正とはいえ、応爻である二爻を求めれば、少しは為すところがあるでしょう。
同様に、離を「つく」とし兌を「悦ぶ」とするので、外卦と内卦の性情は相背きつつも悦びを仲介として結びつくこともできます。
しかも、五爻と二爻(両卦の中爻)が応ずることから、「忙中の閑」とか「不幸中の幸い」などのような「背反中の応和」があります。
このことは大事をなすことはできないが、小事ならば、この応和をもって遂げることも決して不可能ではありません。
この火沢睽の爻辞のように、元とも亨とも利とも貞とも言わず、単に「小事に吉」とだけ言っているのも特例です。
ですから、その吉というのもアラの中の米粒のようなもの……といっては少し極端ですが、決して進んで求めるべき吉事ではないはずです。
(加藤大岳述 易学大講座 現代語要訳)