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<爻辞>
「盱て予しむ。悔ゆること遅ければ悔い有らん」
<読み方>
みあげて たのしむ。くゆることおそければ くいあらん。
<爻辞の意味>
「人の恩恵にて悦び楽しむ。いつまでも改心しなければ後悔することとなる」
「雷地予」は「悦び楽しむ」ことについて説かれた卦(か)です。
そんな中この三爻は、初爻と同じく、自分自身に楽しむような力、悦びを得るような力を持っているわけではありません。
あくまでも有力者の恩恵にて、自分も楽しめる状態にあるだけなのです。
そのような楽しみに溺れることは良くないことですが、しかしこの三爻は、この状態をなかなか改めようとはしません。
そうして、ついには後悔するようなことが身に起きてくるのです。
「占った事柄」と「上記の説明」を、スライドガラスを2枚重ね合わせるようにして解釈してみて下さい。
また、下記の
「加藤大岳述 易学大講座」の要約も、ぜひ併せてお読みになり理解を深めましょう。
<説明の要点>
「盱て」とは、上を望み見ること、いわば羨望です。
この爻は、卦中で唯一の陽爻である四爻が上にあるので、三爻は楽しむべき実体を持っていないのに悦楽だけはそれに倣おう(ならおう)として上ばかり見上げ、へつらい、親しむ意が強いのです。
これは初爻の鳴予とほとんど同じです。
だからこれも志が行きづまり凶です。
その凶兆を知って速やかに悔いれば咎なきとなりますが、機を見て断つことをしなければ、ついに取り返しのつかない凶に陥るということです。
ですから、最初の「悔い」は悔い改める悔いで、後の「悔い」は後悔先に立たずの悔恨です。
三爻がこのような悔いを持つというのは、初爻と同じで陽位に陰でいるために、その才力が弱いにも関わらず志のみが強く、己の分を知ることができないからだとされています。
(加藤大岳述 易学大講座 現代語要訳)