ふうちかん ほんか
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━━━主爻
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〈卦辞〉
「観は盥いて薦めず。孚ありて顒若たり」
〈読み方〉
かんは てあらいて すすめず。まこと ありて ぎょうじゃくたり。
〈説明の要点〉
この風地観という卦は、前の地沢臨の綜卦(逆さまにした卦)になっています。
地沢臨が初・二爻が陽であったのに対し、この風地観は五・上爻が陽です。
また、臨も観もともに「見る」という意味の卦名で、「見る」ということに二つはないようなものの、それぞれに違いがあります。
臨の場合は、上に四陰があり下に力強い二陽があるので、上から下を臨み見て、需める(もとめる)のに対し、下も長じすすんでこれに与えるいう象でした。
一方「観」のほうは、上に二陽があり、下に貧しい四陰があるところから下から上を仰ぎ見、厚い恵みを希求する。
上は、富を下へ施そうとする……そういった在り方です。
そこには、自ずとその立場と態度との相違があります。
その相違は、両卦がちょうど綜卦となっていることで、説明されるものです。
「観」というのは観世音の観、内観・主観などの観であり、物を見ることです。
しかし、その見物も、ぼんやりと目で眺めているのではなく、どちらかといえば心でもって見覚えることです。
臨も観も、十二消長卦のひとつです。
臨は陽の長ずる卦で、卦を解する上でも、この消長ということを主として見ました。
観の方は、陰の陰の勢いが増していくところで、秋風落莫として冬の遠からぬ感をもよおさせる陽気衰滅の目立つ卦ですが、卦を解する上では、消長の理はあまり重視していません。
消長の理を重視せず、二陽が上にあることを主に、卦を解釈しています。
そして、風が地上を吹き清めて行けば、在る物の姿が明らかになるのでこれを観ると名づけたと言えるでしょう。
この卦辞は、風が地上を行く意を君主の政に推しています。
風が行きわたるように、善ゆえにあまねく行きわたる治国に当てています。
ですから、下から上を仰いで需め、上より下へ恵みを垂れるという政の施し方を主題としています。
「盥い」は「たらい」のことですが、ここでは「手を洗う」という事です。
「盥いて薦めず」は、二通りの場面に当てはめることができます。
ひとつは神前に祭祀する礼として。
もうひとつは君主が諸侯に謁を賜う時の儀式として。
ともに身を洗い、心を清めて対すべき場合です。
巽をもって清めるとするところからです。
祭祀と政とは昔から切り離せないもので、君主は神を祭り、政を執る。
神前に物を薦め備える前に、すでに誠敬をもってこれに対するのです。
徒に華々しいものを飾ったり、その飾りを誇りとしたりはしません。
そういうものは控えめにしておき、清浄な心身を唯一の供物として奉仕するのが「孚あり」です。
上に立つ者がこのように誠敬をもって事を行うならば、すべてのことが厳粛かつ整然と運ばれてゆくわけです。
「顒若たり」というのは、その厳然とした形を言ったもので、祭政ともに、真心をとうとぶ、精神的な交流を真実義としています。
また、これを剛健中正の五爻の君主が、顧問・師伝の上爻とともに範を垂れ、善政を行うと見ますが、下はよくこれに服し仕えます。
君主はひたすら政治に精進しますが、政務のすべてを自ら行うのではなく、諸侯にやらせます。
そして諸侯が色々な状況を報告するために参上したときは、君主は唯心のもてなしをして、酒肴その他、飾り立てたものは一切すすめず、誠心あるところを汲み取らせるのです。
(加藤大岳述 易学大講座 現代語要訳)