らいざんしょうか ほんか
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━ ━主爻
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〈卦辞〉
「小過は亨る。貞に利ろし。小事に可なるも、大事に可ならず。飛鳥之が音を遺す。上るに宜しからず、下るに宜しくして大いに吉なり」
〈読み方〉
しょうかは とおる。しょうじに かなるも、だいじに か ならず。ひちょう これが おとを のこす。のぼるに よろしからず、くだるに よろしくして おおいに きちなり。
〈説明の要点〉
中孚を裏返しにしたのが、この小過という卦です。
小過は、中孚の裏卦だとういうことは、この卦を理解する一つの鍵となっています。
中孚は大離の卦であり、離をもって雉とし、それを飛鳥の象とします。
その裏卦である小過では大離の形が隠されてしまって飛鳥の姿がもう見えないので、卦辞でも「飛鳥之が音を遺す」と言っているのです。
また、前に沢風大過という卦がありました。
それは陽の「大なるもの」が過ぎていたのに対し、この卦は陰の「小なるもの」が過ぎている象です。
それとともに、大過は「大いに過ぎる」意でしたが、小過は「小しく過ぎる」意があります。
では「過ぎる」ということが悪いことかと言えば、決してそうばかりではありません。
大抵の事は少し過ぎるくらいでないと、かえって上手く行かないと言ってもいいくらいです。
例えば、八時に電車に乗る場合、ちょうど八時に着くよりは、少し早すぎるくらいに行ってちょうど良い…、といった具合です。
それは、正しいことに対して、又どうしてもやらなくてはならに事に対して、そのようにすべきであるのは言うまでもありません。
「小過は亨る。貞に利ろし。小事に可なるも、大事に可ならず」とありますが「小なるもの」が過ぎて通ると言うのですから、それは元より大事を担って耐えうるようなものではないということです。
そして次に「飛鳥之が音を遺す」というのは、先ほど述べたように、大卦の離が伏して見えないところから来ていますが、「小しく過ぎた」という卦意から、その飛び去った鳥の音はまだ聞こえる程度なのです。
しかし、それが更に高く飛んだならば、もう其の音も聞こえなくなってしまいます。
ですから「上るに宜しからず、下るに宜しくして大いに吉なり」なのです。
それと同様に、傲慢さから自らを高しとすることに過ぎるのはよろしくないですが、「謙恭」などのように自らを低くすることに過ぎるのは、かえって吉を得るという意も含んでいます。
それは、小過の卦そのもが大坎の象であることから来ています。
坎は下るという性を持っているので、下るのはその性に順であり、上ることはそれに逆らうことであるのです。
(加藤大岳述 易学大講座 現代語要訳)