すいたくせつ ほんか
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━━━主爻
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〈卦辞〉
「節は、亨る。苦節は貞にすべからず」
〈読み方〉
せつは、とおる。くせつは ていに すべからず。
〈説明の要点〉
この前の風水渙を逆さまにしたのが、この水沢節です。
節というのは「竹の約(くくり)なり」とあるように、竹の「ふし」であり竹がたわみながらも恐ろしく強靭なのは、この節があるからです。
それは、のっぺらぼうに伸びることを制して、一節一節で締めているためであると言えるでしょう。
したがって節には、まず「出ずることを制する」という意味があります。
節約とか、節倹とかいった内容です。
悦びの果てに緩怠となって人や物が散逸したならば、今度は節することによってそれを補わなくてはならない…。
渙散の卦の次にこの節約が配されたのは、そのような意味からでしょう。
また、出るのを制するのであれば、それは止まることなので、節には「止まる」という意味もあります。
好餌で誘われたり、甘言をもって招かれたりしても、止まってそちらに引かれないというのが、節の止まる一面です。
こういう見方から、節操とか貞節とかいった内容も生まれて来ます。
さらに、竹の節はデタラメに勝手な所に作られるのではなく、五寸なら五寸、六寸なら六寸と、ほとんど決まった間隔で整然としています。
節のそういう点を重く見ると、調節という内容も生まれます。
「節は、亨る」とありますが、節は緩怠をもって散出することを制し、調節を保つのですから、これは亨通を得る道であることは言うまでもありません。
この節は、もとは地天泰から来ています。
地天泰の陰陽が交わることにより、内卦乾が剛に偏することを制し、また外卦坤が柔に偏することを制しています。
しかも剛中をもって過ぎるところがないので、節は亨るのだと説いています。
節というものは誠に行い難いものですが、兌の悦びをもって、坎の難しさを凌ぎ、しかも五爻が中正であるように、及ばざるところなく過ぎたるところなく、よく節の道に適って、水があまねく通じるように、節してしかも滞ることなく行われるという意義を見ているわけです。
そこからも解りますように、節が亨るのは調整を保つからであり、もし制することばかりに偏って、例えば沼沢の水を灌漑に用いるのを止めるというようなこととなると、それは節のためにかえって苦しむことになり、それが「苦節」です。
苦節は正しい節ではなく、たとえ義において、あえて潔しとするところがあっても、それを総ての人に当てはめ、いつまでも持続するというわけには行きません。
ですから、そのような苦節に固執してはならないというのが「苦節は貞にすべからず」です。
(加藤大岳述 易学大講座 現代語要訳)